大切であると気づくこと
『世界から猫が消えたのなら』 川村元気
まずは題名を見て…
本当に嫌だ!!
僕は根っからの愛猫家である。二匹の鬼のようにかわいい猫たちと生活している。
そんな僕からしたらこの題名を見て無理!としか言えない。
そんなショッキングな題名に目が留まり最初に読んだのはかなり前だった。
それから映画化されて(見ていない)もう一度読んでみて今回これを書くことにした。
脳腫瘍で余命を宣告された主人公。人生最後の日に目の前に現れたのは悪魔。
世界からなにかひとつ消す代わりに余命を一日延ばすことができるという取引を行う。
これにより主人公は世の中からいろいろなものを消していく中で消したものと自分の過去、自分の人生を振り返り、残りの命を生きていく。
最初聞いたとき僕も主人公と同じく、
この世にいらないものなんてたくさんあるんだからどれだけでも生きられる!
と感じました。
でもそれほど甘くなく消すものは悪魔が決めてしまうという。
世の中には本当に要らないものがたくさんある。技術の進歩は素晴らしいが、便利になりすぎている。自動で動く掃除機、なんでもこなしてしまうロボット、行き過ぎた自動運転システム…
個人的な意見だが、やりすぎなものが多い。
本来人間がやるべきことをどんどんロボットが行う。確かに行わなければならない状況になっているのもわかるがこうなってしまったのも便利さの追求がもたらした結果でしかないと思う。
便利になっていく一方で人間の能力は衰退していく一方である。
そんなことならこの小説のようにいっそ消してしまったほうがいいものばかりだ。
こんな世の中でどこまでその便利さに頼るか自分の力で解決するかそのバランスが大切だと思う。
家族のつながりの大切さが身に染みた。
残り僅かな命になるとやっぱり思い出すのは家族であったり恋人であったり、その人に対する愛の大きさが大きい人から順番なんじゃないかなって思う。
逆に最後に想いを伝える相手、会いたい人、死ぬ間際に思い出す人が本当に大切な人なんだと思う。
でも、単調な日々、何かに追われるような日々の中でそれに気づく機会なんてまずない。
それなのに寿命というものは誰にとっても平等に未知であって、いつその時がくるかなんてわからない。
だからこの小説を読んで思ったことは
日常のなかでいかに自分にとって本当に大切な人、ものに気づけるか、
そしていかにそれに感謝し伝えられるか
ということ。
気づけないまま死んじゃったら多分成仏できない。成仏できなくてもそれは伝えられない。要するによくいう後悔なく生きようということが言いたい。
その人の人生幸せであったかは
どれだけ大切なものがたくさんあったかよりも
どれだけたくさん気づけたか
な気がする。
みんな同じくらいなんだと思う。大切なものとか人の数って。
違うのはそれを大切なものであると気づける数だと思う。
そうなのであれば小さなものでもありがたいと思って、大切に想い、感謝し伝える。これが死ぬときに幸せな人生であったかどうかの一つの基準になるんじゃないかなって思う。
と思ったので周りの人やものに対する見方も変わるんじゃないかな。
それによって行動も。